今更ながら、『国宝』を観ました。
「まだ観てないの?」という周囲の言葉を他所に、気になりながら日々に忙殺され(レコ発ライブ〜クリスマスシーズン)バタバタと過ごした2025年後半。
年が明けて2026年、
本当に今更ながら 映画『国宝』を観に行ってきた。

映画『国宝』2025年6月6日公開
その才能は、血筋を凌駕するー。
名もなき一人の少年が世界でただひとりの存在“国宝”となるまでの物語。
【作品情報】
■公式HP:kokuhou-movie.com
■公式X :https://x.com/kokuhou_movie
いつも通り 事前情報を仕入れずに映画館へ向かう。
もちろんあらすじも 原作も 配役も 何もかも。
冒頭の任侠シーン、
ここ数年 バイオレンスな映像を避けて暮らしていたので刺激が強過ぎたのか、
心の中で「ムリムリムリ」と言いながら咳込んでしまい、
薄目でドリンクをゴクゴク流し込む。
・・・序盤〜中盤まで見進めていくうちに
おお・・・、なんてしっかりしたプロット・・・
骨組みの堅牢さを強く感じた。
これは原作がある!
小説なのか漫画なのか。必ずあるはず。
むむむ、後半に差し掛かってきた頃から 辻褄が合わないことについてのモヤモヤ・・・
骨組みが長編大作過ぎて、説明し切れていない部分が散見される。
ええと、どうしてここでこうなった?
・喜久雄が不遇のどさ回りから戻って復帰できたのは何故なのか
・俊ぼんが片足を失ってから亡くなるまでの部分
・二代目が名跡を息子ではなく喜久雄に譲ると決心した流れ
・春江の心の移り変わり
判ってきた、この入り組んだ長編人間ドラマを流れるように描くには
圧倒的に時間が足りな過ぎるのだ。
・・・しかし それはひとまず横に置いておいて。
何よりも心奪われたのは、
目を見張る映像美。
映像に充てた音の、カメラワークの、
息を呑むような美しさ。
良くも悪くも、「持っていかれる」。
上記のざらざらした部分も含めて、持っていかれる。
映像・音の素晴らしさ
とにかく映像が美しい。
カメラワークの美意識 迫力がありながらとても繊細
そして音がいい
この映画の一番素晴らしいところはここにあると思う。
ラストシーンの音の変化
素晴らし過ぎて めまいがした。
なんて素敵な演出なのだろうと思った。
息を呑む鷺娘の舞台、いよいよというシーンで、
お囃子の音がストリングスに移り変わり、
ロングトーンの音域やボリュームが上がっていく時に感情が高揚していく。
その後音楽がなくなり、喜久雄の吐息だけが聞こえてくるのである。
吐息が聞こえることで、今まで喜久雄を傍観していた観客としての視点が
喜久雄の視点で客席を見ている感じになり
「喜久雄を体験している」錯覚に陥る。
喜久雄がずっと見たかった あの「景色」を見ている。
そしてその景色の幕が降りた後、不思議な光景が広がっている——
はっきりと表現されていないが、最後に見えた光景は
肉体が尽きて あの世から見ているような感じを受けた。
その受け止め方を観客にまかせているところも、
粋で素晴らしいなあと。じーんと。
渡辺謙はやっぱりすごい人だ
本当に歌舞伎役者に見えるし、年老いて糖尿病で視力を失って襲名披露の舞台に臨んでいる姿は、本当に病を患っていて死期が近い様子に見える。
姿勢、歩き方、声色、表情や目の動かし方、肌の表面がかさかさな感じ。
幼い2人に稽古をつけていた時と 生命力や人間としての力のようなものが明らかに違っている。
ワクワクした!
「二人藤娘」の せり上がり!
ワクワクしたし、圧巻だった・・
舞台裏ですれ違う時の俊ぼんが投げかける不敵な表情
つややかで、心に残るワンショット。

歌舞伎ファンとしての考察
学生の頃から幕見席で歌舞伎を見続けてきた歌舞伎ファンとして
現実にはあり得ないかなあと思うところ。
①同年代で「二人藤娘」「二人娘道成寺」は
フィクションならではかなあ。。
(玉三郎ー七之助など、師弟関係くらいに年が離れているケースはある)
②この映画で言うところの「血をもたない人」が
例えば 玉三郎丈のように 後継のいない名跡に藝養子として入ることはあっても、同年代の「血のある人」が既にいる名跡に弟子入りして三代目に抜擢されるということは、どう転んでもなさそうだなあ、、、
芸事というのはすべて遍く、
特段この歌舞伎という世界は、
誰が主役を張るか 表に出るか
チャンスの取り合いであり 嫉妬の塊なのだと思う。
妬み嫉みの生き霊が行き交うくらいに どろどろした重たい念が渦巻いていて
その中央の誰かを神輿に担いで 大勢の裏方が支えている。
支えるための仕組みづくりというか土台づくりのようなものがきっと緻密に脈々とあって、
人間国宝になるまで担いでもらった人は、
観客だけではなく裏方にも愛された人、憎めないパーソナリティを持っているはず。
歴代の立役、立女形を振り返っても。
その意味で、
全般を通して喜久雄は 愛されるべき人物としてあまり描かれておらず、
俊ぼんの善人な清らかさと対照的に、
芸に全てを売り渡し、多くの人を傷つけた人というダークな側面ばかりが
フィーチャーされているように感じてしまった。
帰宅してから原作や様々なBLOGを読んでみたところ、
原作では二人のパーソナリティの描き方が違っているということ、
間をつなぐ重要人物が登場していないことなど、
長編人間ドラマのディテールが端折られていることによって
そのあたりが多少ギスギスしてしまったのかなあと思う。
でも、それでも。
現実にはあり得ない設定を『フィクション』として、
作品力によってこの設定を成り立たせたのが、
すごいところだと思う。
✨•*¨*•.¸¸☆*・゚
・・・大抜擢の代役で曽根崎進中の舞台に上がる前に
楽屋で震えている喜久雄のお化粧を手伝いながら優しく声を掛ける俊ぼん。
これからこの一世一代の舞台に立つ喜久雄の気持ち
心中複雑な思いで 楽屋を訪れて声をかける俊ぼんの気持ち
両者の心の機微が 生々しく 痛々しく伝わってきて、
ここでぐーっと涙が出てしまった。
とにかく「持っていかれる」映画。
未だ体感されていない方はぜひ!
映像美も含めて公開中に劇場での鑑賞をおすすめしたいです✨
